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大阪地方裁判所 平成元年(行ウ)26号 判決

原告

乙川一郎

右訴訟代理人弁護士

南輝忠

被告

阿倍野労働基準監督署長高橋寿雄

右指定代理人

丸山純生

明石健次

加藤久光

奥田勝儀

辻本義雄

宮本安正

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和六一年三月三日付で原告に対してなした労働者災害補償保険法による療養補償給付を支給しない旨の処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文の同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  業務災害の発生

原告は、昭和四八年一一月三日夕刻、近畿電気工事株式会社大阪支社が施工する工事に土工として就労中事故に遭い、左足部及び腰部を負傷し(以下、本件負傷という)、労働者災害補償保険法(以下、労災保険法という)所定の業務災害の認定を受けた(但し、腰部傷害は同四九年三月追加認定された)。

2  非定型精神病及び不安神経症状の発生

原告は、同五二年一月二五日、光愛病院の田原明夫医師により、非定型精神病及び不安神経症状(以下、本件疾病という)との診断を受け、同病院において、同日から同年八月三一日まで及び同年一二月四日から翌年二月一三日まで入院治療を受け、現在も通院治療を受けている。

3  労災給付の請求と不支給処分

原告は、本件疾病は業務上の傷害に起因するとして、同六〇年一二月七日、被告に対し、労災保険法所定の療養補償給付の支給を請求したところ、被告は、同六一年三月三日付けで右給付を支給しない旨の処分(以下、本件処分という)をした。原告は、本件処分を不服として、同年三月五日、大阪労働者災害補償審査官に対し審査請求をしたが、請求を棄却されたので、同年九月二四日、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、平成元年一月一九日付けで棄却され、同裁決書謄本は同年二月一五日原告に送達された。

4  本件処分の違法性

本件疾病は、本件負傷に起因することが明らかであるから、本件処分は違法である。

(一) 原告は本件事故後、応急治療を受けたのち同四八年一一月五日から同四九年三月一四日まで、岡田病院、大阪社会医療センター及び佐藤病院において労災保険法所定の業務災害として治療を受けた。

(二) 原告は右各病院で腰痛を訴えたが、事業主の証明不備及び他覚的所見がないことから、腰部傷害は業務災害扱いをされず、治療を受けることができなかった。このため、原告は腰痛そのものに、腰痛の治療を受けられない不安が加わって、強い不眠及びノイローゼ状態に陥った。

(三) 原告の腰部傷害は同四九年三月一五日になって業務災害による負傷と追加認定され、原告は大阪赤十字病院、大阪労災病院、大阪大学付属病院等で診察を受けたところ、現実に腰痛が持続しているにもかかわらず、いずれの病院でも腰に異常はないと診断された。このため、原告は不眠・ノイローゼ状態がますます高じ、同五二年一月二五日、幻覚妄想状態を伴う錯乱状態で市中を徘徊中、警察に保護され、光愛病院に入院するに至った。

(四) 原告は同六一年一〇月一日、南労会松浦診療所において椎間板ヘルニアの手術を受けた際、本件事故による第一仙椎棘突起の陳旧性骨折が認められ、骨片の摘出手術を受けた。原告は右骨折のために疼痛が強く不眠となった。

(五) 以上のとおり、原告の本件疾病は、本件負傷(殊に腰部)による疼痛とこれに加えての心労(右腰部の傷害に対し期待する治療をなしてくれる医師がいないとの不安、焦燥感等)により睡眠障害が継続したため発症したものである。したがって、本件疾病と本件負傷との間には相当因果関係が認められるから、本件疾病が本件事故に起因することは明らかである。

5  よって、原告は違法な本件処分の取消をもとめる。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因に対する認否

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 同2のうち、通院治療の事実は知らない、その余の事実は認める。

(三) 同第3の事実は認める。

(四) 同4(一)のうち、応急手当ての事実は知らない、その余の事実は認める。同(二)の事実は知らない。同(三)のうち、原告の腰部傷害が業務上傷害の追加認定された事実は認め、その余の事実は知らない。同(四)の事実は知らない。

2  被告の主張

(一) 原告の本件事故による傷害は、頭部外傷等の脳の器質的損傷を伴うものではなく、その程度も極く軽度のものであったから、原告が主張する精神障害の原因となりうるものでないことは明らかである。

(二) 仮に、原告が本件疾病に罹患しているとしても、

原告は、昭和三〇ないし三一年ころ、自衛隊に在籍中に梅毒の治療を受けたことがあり、同四五年三月ころには、自分が梅毒であると噂されていると思い、睡眠障害と恐怖感に悩まされた経験を有し、その後も一度ないし二度同様の経験をしたことがあることからすると、原告は、本件事故の以前から本件疾病に罹患していたのであり、原告が主張する本件疾病は、原告が本来有している素因が本件負傷の治療過程における些細な出来事も一として再燃したに過ぎず、本県(ママ)負傷と本件疾病との間に相当因果関係はない。

(三) したがって、本件処分に違法はない。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1及び同3の事実はいずれも当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、請求原因2の事実(但し、原告が光愛病院に入院した事実は当事者間に争いがない)が認められ、右認定に反する証拠はない。

二  そこで、本件処分が適法であるか否かにつき判断する。

1  (証拠略)の結果を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  本件事故以前における原告の病歴

原告は昭和三〇年八月自衛隊に入隊したが、間もなく梅毒を指摘され、通院及び入院各一年にも及ぶ治療を受けた。右治療の結果、梅毒による症状が顕在化することはなかったが、原告にとっては、梅毒に感染していることは常時苦痛の種であった。原告は、同四四年九月除隊し、郷里の大分県に戻って弟と同居するようになったが、同四五年三月ころ、梅毒に感染しているとの恐怖感、弟との生活時間帯の違いから来る睡眠不足、さらに弟への気兼ね等があいまって、近所の人が原告が梅毒に罹っていると噂しているとの恐怖感及び幻聴に襲われるという症状を呈するに至った。右症状は服薬と転居により軽快したが、その後本件事故までの間に三回から四回同様の症状を体験した。

(二)  本件事故後の原告の治療経過

(1) 原告は、本件事故後、福島区内の病院で応急手当てを受け、さらに昭和四八年一一月五日から同四九年三月一四日まで、岡田病院、大阪社会医療センター及び佐藤病院において、労災保険法所定の業務災害として治療を受けた(当事者間に争いがない)。原告は、岡田病院以下の各病院で左足部の傷害と共に腰部に対する傷害による腰痛を訴えたが、腰部の傷害については他覚的所見が乏しく、また事業主が労働基準監督署に提出した事故態様の報告書に腰部の傷害を窺わせる記載がなかったことから、腰部傷害は業務災害から除外され、是に対する治療を受けることができなかった。このころから、原告には睡眠障害及び幻聴等の症状が現れ出した。

(2) 原告の腰部傷害は同四九年三月一五日ころになって業務災害の追加認定がされた(当事者間に争いがない)が、原告がこれ以後治療を受けた大阪赤十字病院、大阪労災病院、大阪大学付属病院等いずれの医療機関においても、腰部に対する他覚的所見は得られず、腰部に異常はないとの診断がなされた。一方、原告の精神障害は改善されず、睡眠障害、幻聴はますます高じ、同五二年一月二五日、幻覚妄想状態を伴う錯乱状態で市中を徘徊中のところを警察に保護され、光愛病院に入院した。

(3) 原告は同病院の田原医師により本件疾病であるとの診断を受け、同年八月三一日まで入院し、一旦は退院したものの、同年一二月四日再度入院し、同五三年二月一三日に退院した(当事者間に争いがない)が、現在に至るも治療を続けている。

(4) 原告の本件負傷は、同六二年九月一九日、症状固定したが、腰痛症(腰椎捻挫)、両下肢痛、左下肢脱力感、腰痛、歩行困難、左足痛、左足冷感の後遺症状を残し、後遺障害等級第一二級の認定を受けた。

(5) 原告は、同五二年一〇月一日、南労会松浦診療所において、腰椎椎間板ヘルニアの手術を受けたが、その際、第一仙椎棘突起の陳旧性骨折が認められ、その骨片の摘出手術を受けた。右手術担当医の見解によると、右骨折は、本件事故により生じた可能性が高いとされている。

(三)  田原医師の意見

同医師は同五二年一月二五日から平成元年六月ころまで原告の精神障害の治療にあたったが、本件疾病が発生した経緯につき、以下の見解を表明している。

(1) 原告は本件事故以前から不安神経症を伴う非定型精神病の素因を有し、そのため、弱いストレスが加わっただけで右病気を発病させるという脆弱性を有している。

(2) 本件負傷の部位から見て、心因的要素を加味して考えても、本件疾病が本件負傷を直接の原因として発生したというのは困難である。

(3) 本件負傷による疼痛も本件疾病の発生と全く関係がないとはいえないかもしれないが、後記(四)の要素がなければ右疼痛により本件疾病が再発することはなかったといってよい。

(4) 精神医学上、本件疾病は、原告が生来持っている前記脆弱性に、本件負傷により訴えている腰部の疼痛を聞き入れ理解を示す医師、すなわち原告の訴えを受容してくれる医師に巡り合わなかったことによるストレスが加わり発症したと考えるのが合理的である。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  そこで、本件疾病の発生原因につき考える。

右認定のとおり、本件負傷の部位は直接に精神障害をもたらすものではなく、本件負傷による疼痛も、原告にとっては苦痛であったことは否定できないにしろ、通常人であればこれにより精神に異常を来すものとは到底いえない程度のものであったこと、原告の睡眠障害あるいは幻聴は、原告が腰部の疼痛を訴えたにもかかわらずこれに対する治療を受けられなかった時期に生じていること、右腰部に対する治療について労災補償を受けられるようになった後においても、原告の訴えを認めてその腰部に異常があると診断した医療機関はなかったこと、原告の精神障害は右期間中悪化の一途をたどっていること、他方、原告には非定型精神病の素因があり、軽度のストレスによっても、これを発病させる脆弱性を有していたことに照らすと、本件疾病は、原告が、本件負傷の治療過程において、原告を受容してくれる医師を見出しえず、その言い分を十分に聞いてもらえないとのストレスが原告の素因に作用した結果発生したものと認めるのが相当である。

3  次いで、本件疾病と本件負傷との相当因果関係につき考える。

右認定説示によれば、本件疾病は、本件負傷がなければ発生しなかったという限りにおいて、両者の間に因果関係は認められるが、本件疾病が発症した直接の原因は、原告の有する素因と、治療過程において生じた原告と医療機関との軋轢にあり、本件負傷それ自体にあるのではないのであるから、本件疾病と本件負傷との間に相当因果関係を認めるのは困難である。

三  以上によれば、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 野々上友之 裁判官 長谷部幸弥)

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